市民美術大学 2015 植松 由佳
現代美術作家について語る 束芋の味

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市民美術大学 美術講座 2015 前期
2015年6月6日
国立国際美術館 主任研究員 植松 由佳
現代美術作家について語る 束芋の味

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今回一人アーティストを選んで話をするということで、最初は誰にしようか迷いました。いろいろと考えたのですが、映像作家の作品を見る機会というのは、実は日本の美術館ではあまり多いことではありません。現代美術を紹介する美術館は、日本国内でも限られていますし、中でも映像作品は展覧会の回数が限られています。そこで映像作品を制作している作家を紹介するのがよいのではないかと思い、束芋を選びました。映像を制作する作家は大勢いますが、束芋という作家は、現在自分が勤務している国立国際美術館で個展を開催したこともありますし、2011年のヴェネチア・ビエンナーレでは、日本館の代表作家が束芋だったのですが、私はコミッショナーという立場で、一緒に仕事をしたことがあります。そうした経緯もあり、今日は束芋をご紹介したいと思います。

今日の講座のタイトルは「束芋の味」、ちょっと講座のタイトルとしてはユニークなものにしました。「束芋」という名前を聞くと、一体どんな人だろう、野菜なのか、グループなのか、男性なのか、女性なのか…いろんなことを考えられる方が多いかもしれません。束芋は女性のアーティストです。1975年兵庫県に生まれ、現在は長野県軽井沢に在住、本名は田端綾子といいます。
 なぜ束芋という名前がついたのか。田端家には三姉妹がいて、束芋の姉、つまり田端家の長女は「たばあね」というニックネームで呼ばれていました。「たばあね」の妹ということで、次女綾子さんは「たばいも」と呼ばれるようになり、束芋のマネージャー的役割、制作のアシスタントも行っている三女は「芋々(いもいも)」と呼ばれています。「たばあね」・「たばいも」・「いもいも」という三姉妹のニックネームからついたアーティスト名です。
 束芋は、1999年京都造形芸術大学の卒業制作として制作された、アニメーションを使った映像インスタレーション《にっぽんの台所》で最初に注目を集めました。もちろん大学の卒業制作でしたので、本名の田端綾子として発表しましたが、そこから束芋としてアーティストのキャリアをスタートしました。そこからのことをお話ししながら、「束芋の味はどんな味?」ということで、みなさんと味わっていきたいと思います。まずは出発点となった《にっぽんの台所》をご覧ください。

【《にっぽんの台所》上映】

今日初めて束芋の映像を見て、想像していた作品とはちょっと違うと思われた方もいらっしゃるかもしれません。キリンコンテンポラリーアワードという、主に若手のアーティストを対象にした重要なアワードが当時ありましたが、この作品で最優秀賞を大学の卒業時に受賞しました。そこから様々な意味で脚光を浴びることになりました。

この作品のどこに注目が集まったのか。《にっぽんの台所》には幾つかのポイントがあります。今ご覧いただいたように、作品そのものは3面のプロジェクションです。中央と左右のスクリーンに、手書きのアニメーションのような映像作品が映し出されます。まず一つ目のポイントは、皆さんお気づきになったかと思いますが、その特徴的な色使いです。アニメーションとなる映像は、手書きで描いたものを積み重ねて映像化していきますが、色は江戸時代の浮世絵から取っています。パソコン上の作業で浮世絵の版画から引用して作っていきます。そして何よりも注目を浴びたのは、その映像が物語っていた内容です。ショッキングでもありました。制作年は1999年ですから、ちょうどバブル経済が崩壊し、「失われた10年」の真っただ中です。当時のテレビのワイドショーで頻繁に取り上げられていた、中高校生の自殺やリストラの問題、そういったことを束芋はこの作品の中に取り込んでいます。日本の場合、その時々の現代社会の世相を取り込んでいく作家はそう多くはないと言えると思います。束芋は、1999年のこの作品で、当時の日本の現代社会が抱えている問題を、辛口で、毒を持った視点で切り取っていきました。そして、この作品をきっかけに注目が集まり、束芋にとっての快進撃が続いていきます。
 2001年の作品《にっぽんの通勤快速》は、同年に開催された第1回横浜トリエンナーレで発表されました。束芋が紹介される時に「最年少」ということがよく言われるのですが、この時も横浜トリエンナーレに出品している作家の中で最年少でした。それ以降、サンパウロ・ビエンナーレ(2002)やシドニー・ビエンナーレ(2006)、ヴェネチア・ビエンナーレ(2007)に参加し、国際的な活動を続けていくことになります。初期の頃の作品には、《にっぽんの台所》に代表されるように「にっぽんの」という言葉がタイトルによく入っています。《にっぽんの通勤快速》や、公衆浴場を取り扱った《にっぽんのお風呂》など、「にっぽんの」と題して、日本の社会の特徴や社会に潜む問題が作品の中に反映されていくのですが、そこがまた彼女の作品の特徴の一つとなりました。

《にっぽんの台所》は、京都造形芸術大学の学長賞も受賞しています。彼女は京都造形芸術大学に入学したときはビリだったそうです。その時彼女は、卒業するときには一等賞を取って出ようと決めたそうです。田名網敬一さんという、映像作家で京都造形大で教鞭(きょうべん)を執っている方がいますが、大学時代束芋は、田名網さんに多くを教わります。束芋は当時から抜きん出た制作意欲を見せ、制作レベルの高さも見せていたと田名網さんは言っています。ただ大学時代は、一番になって卒業しようとは思っていましたが、束芋自身、アーティストになろうとは思っておらず、グラフィックデザイナーを目指していました。所属していたのも、映像の学科ではなく情報デザインという学科でした。ですから、田名網さんのもとで作品を作りながらも、やがてはグラフィックデザイナーの道を歩みたいとずっと考えていました。ですから、《にっぽんの台所》で賞を取り、国内で脚光を浴び、2001年横浜トリエンナーレに出品し、それ以降も国際的な活躍を続けながらも、ずっとグラフィックデザイナーになりたいと考えていたと言います。
 2003年に東京オペラシティアートギャラリーで初の大規模な個展を開催します。そしてほぼ同時期に助成を獲得し、束芋は研修のためイギリスに渡ります。イギリス、ロンドンというと、ご存知のように欧米の現代美術の中心地の一つですが、彼女が研修の場所として選んだのは、デザイン事務所でした。まだデザイナーへの道は諦められず、諦めるつもりもなかったそうです。そして1年間デザイン事務所で研修を積んだ結果、彼女の中で導き出された結論は、自分はやはりデザイナーに向いていない、映像作品を作りたいということでした。99年に制作を始め5年目で、イギリスで1年かけ、アーティストとしての決意を固めることになりました。彼女の第2のスタートということになります。
 イギリス滞在期間の1年間は、彼女にいろいろな影響を与えました。一つは自分自身の心にあった、デザイナーへの憧憬(どうけい)がある意味すっきりと整理され、アーティストとしてやっていくという意気込みがそこで固まったということ。そして、やはり日本という場所を離れたことが大きかったと言えます。99年以降、「にっぽんの」で始まる作品を彼女は作り続けていました。自分がいる日本の社会、そして日本の伝統でもある浮世絵版画の色を作品に取り込みながら制作してきたわけです。渡英したことで、そこで表現してきた「にっぽん」社会から、少し距離を置くことができたと言えます。それによってこれまでとは少しずつ考え方が変わり、「いまの」自分自身が作るべき作品というものが見えてきた。その結果できあがったのが、2005年に発表された《ギニョル》という作品です。
 《ギニョル》においても、作り方、制作の方法は基本的には全く以前と変わっていません。しかし、タイトルにはこれまでの「にっぽんの」という文字は消えました。イギリスに滞在したことから、外から日本を見つめ直し、そして自分自身、個を見つめ直した結果制作されたのが《ギニョル》です。その後、それまでの「にっぽんの」シリーズから離れ、ある意味自分自身、個人の中に潜んでいた想いや感覚に添った作品を発表するようになり、少しずつ作品が変わっていきます。90年代後半の時代背景を知る私たちにとっては、《にっぽんの台所》にはどこか身をつまされるような感じがあったと思います。メディアに映しだされるのは、会社が倒産し涙を流す社長や自殺、リストラといった社会でした。繁栄の仕方が正しかったかどうかは別として、この国の経済は頂点にまで達し、その後崩壊しました。私たちが抱えてしまった問題を束芋は作品の中で私たちに突きつけたわけです。ですから味わいとしてどこか苦味を持つような、毒のある作品が続いていました。そこからイギリスの一年を経て、作品の味わいが少し変わってきました。その味は、束芋の内側から出てくるものでした。また先に言ったように束芋の視点が、内側から外側へ向かっていたのが、外側から内側へと変わっていきました。それから作品の見せ方、展示方法も大きな展開を見せるようになります。
 束芋の作品を紹介する時「映像インスタレーション」という表現が使われます。展示する際、その場所で展示方法が成立する作品ということですが、束芋の場合、この展示方法も作品の特徴に挙げられます。一面だけで壁にシンプルに映像を投影して見せるのではありません。例えば、国立国際美術館での2010年の個展で出品された《BLOW》では、天井からつられた4台のプロジェクターから床の上に映像作品が流されました。それも平たい床面でなく、スロープ状になった床の上に映像作品が映されました。観客は自分の体に映像が降ってくるような体験をして、映像を見るだけではなく体感できる作品になりました。イギリスでの研修後に発表された《ギニョル》も、360度スクリーンが設定されていて、その下に観客が立ち、上を見上げるような形で見る作品です。束芋の作品というのは、一面のスクリーンに映像が映し出されるというよりも、彫刻的な映像空間が作られ、かつ観客が作り上げられた彫刻空間に入ることによって、最終的に成立するという特徴があります。ただ作品を見るだけではなく、作品の中で身体を動かすことによって感じられる身体感覚全てを含めて体験するものであり、それによって最終的に作品として成立していると言えます。


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