市民美術大学 2015 植松 由佳
現代美術作家について語る 束芋の味

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冒頭でお話ししましたが、日本国内の美術館で映像作品が見られる機会はあまり多くはありませんが、やはり実際に見ていただくのが一番いいと思います。特に束芋のような映像インスタレーションと言われる作品の場合、体験して初めて分かっていただける要素が強いです。束芋のヴェネチアの日本館の作品などは、本当に複雑なものでした。鏡も使ったので、どこからがスクリーンでどこからが鏡なのか、現場にいても分かりにくかったです。一つの展覧会を場所を変えて展示する、つまり展覧会を巡回させることはよくあるのですが、束芋のヴェネチアの作品は、日本館の構造があって成立するものでした。ですから、もう二度と同じものは見ることはできないと思いますし、今となっては幻の作品かもしれません。
 是非皆さんも、映像作品、映像インスタレーション、もちろんそれだけではなく、いろいろな形の現代アートを味わっていただきたいと思います。

【参加者】
束芋の作品のタイトルの意味がよく分からなかったのですが、ご自分で付けられてるんでしょうか。

【植松】 
全て自分が付けています。基本的には意味があります。初期の作品は、ご紹介したように日本の文化を代表するような言葉が付くにっぽんシリーズと言われ、《にっぽんの台所》《にっぽんの通勤快速》《にっぽんの湯屋》《にっぽんの公衆便所》というように、分かりやすいと思います。ただイギリス滞在以降に作られたものは、変わった言葉を使っていますね。《てれこスープ》も、彼女の造語です。まずテレスコープからもじった言葉でもあります。「てれこ」というのは、関西ではよく使われるのですが、あべこべという意味です。つまり、ヴェネチアの日本館から井戸を通って外につながっていく、つまり、中にいるけどいつの間にか外になる、そこにある外と中の関係性ということで「あべこべ」なんです。「スープ」は、もちろん飲み物のスープもありますが、広い意味での液体を意味します。映像の中に水や液状化が進んだシーンがあったのですが、地球上で生命体の始まりは水分、液体であり、そこから微生物が発生して生物はどんどん進化していったという、生命の起源を参照しています。広い意味での生命の発祥の地という意味もあって、それを「あべこべ」とつなぎ合わせたんです。『ギニョル』というのは、フランス語で指人形の意味からきています。束芋自身アレルギーがあり、手が荒れることがあり手先をいつも見ていたそうです。そういうところからできた作品なんですが、自分の手の動き、そして人形遣いの指の動きだとか、そういうところから発想を得て『ギニョル』を作っています。

【参加者】
今回は現在活動中の作家を一人取り上げて話していただいたんですけど、他に生きている作家で研究されている人がいらっしゃるんでしょうか? もしくは既に亡くなっているアーティストでも研究を続けている作家さんがいるんでしょうか。

【植松】
私の専門領域は現代美術ですので、現存作家を中心に研究対象としていますが、亡くなられた作家も研究することもあります。現代美術がどう定義されるのかにも関わってくることになるかと思います。今一番の研究対象は、ドイツの写真作家、ウォルフガング・ティルマンスです。1カ月後に彼の個展を開催します。7月25日から9月23日まで、国立国際美術館で展覧会をやっていますので、ぜひ見に来ていただきたいと思います。一般的に言えば、写真や映像を扱う作家が多いとも言えますが、他にも例えばパフォーマンス中心に活動している作家、マリーナ・アブラモビッチの展覧会を手がけたこともあります。パフォーマンス作品に関して言えば、そういったタイプの作品の保存方法も含めてもっと調査を進めていきたいと思っています。パフォーマンス・アーティストの中にはもう亡くなられた方もいますし、現在ずいぶんお年を召された方もいますので、亡くならないうちにできればお会いしてインタビューしたいとも思っていますし、いろいろ幅広くやっています。

【中村】
すごく重要なところですよね。パフォーマンスそのものではなく、それを映像に残したものが作品になるのかということですよね。

【植松】
今、60〜70年代に制作された作品に注目が集まっています。それにはパフォーマンスの作品や日本の写真作品なども含まれ、海外でも注目度が高いです。しかしそれはパフォーマンスの記録でしかない。こうしたパフォーマンス作品に対する研究の難しさというのはあります。
作家の評価はその時代や状況で変わってきます。もちろん評価をするために研究しているわけではありませんが、作家に対する研究のポイントも時代で変わっていきますし、評価のポイントというのも変化します。それは皆さんも恐らく同じで、10年前に同じ作品を見ても、今と感じ方が違うとか、もしかすると将来同じものを見ても変わってくることもあると思います。そういったことからも、生きている作家さんの作品を追いかけて見るのはとても面白いので、皆さんも一人の作家を時代を追って見て行くと、また違った楽しみ方ができるんじゃないでしょうか。

【中村】
現代美術の保存は、これから日本国内でも問題になってくると思うんですよね。映像やインスタレーションの作品は、その場で作るわけですから、CCAもそうですが、会期が終わると全部壊してしまいますよね。その後それをどのように保存していくのか。そしてそれを再現したら、それは作品になるのかどうか。使う機材が変わってしまったら、それはもう作品として認めないというアーティストもいるかもしれない。

【植松】
私は、現代美術の保存・修復についても調査しているんですが、多分皆さんのイメージで美術品の保存・修復というと、古い仏像や絵画の経年劣化に対するものだと思います。現代美術の場合、またそれとは違います。例えば、昔ビデオテープで録画したものは、プレーヤーがないと映せませんが、今はもうビデオテープのプレーヤーは普通のお店では売っていません。またDVDといったメディアもいつまで再生可能なのかという問題があります。束芋のような映像作品を展示するにはコンピューターで動かす場合と、作家によってはデジタルデータを何らかのメディアで再生する場合もありますが、DVDは10年ももたないだろうと言われています。今現在の最善の保存方法としてはデジタルデータをマスターとして保存し、進化していく再生機や機材にあわせていくというやり方です。もしかしたらDVDやブルーレイに変わる何かが今後作られるかもしれませんから、それに対応するものを作る。ただそこで問題になるのは、例えば過去のビデオテープの画像をデジタルに変換する際、作家が亡くなっていた場合など、作家の了承を得ずにデジタル化していいのかどうかということです。
 映像を映す機材も、今はほとんど見なくなったブラウン管のテレビの、しかもソニーのこの型じゃないとだめだという作家もいます。その特定のテレビモニターを世界中で探さなくてはいけない。そしてそれを、世界中の美術館が買い求めています。技術が進むからこその問題として起こっている作品の保存、という問題が、今現代美術をコレクションする美術館では浮かび上がっています。伝統的な絵画や彫刻は、それまで何百年もかけて修復に関する知識や技術が蓄積されているので、絵の具の道具や科学的な修復方法が開発されています。問題なのは、技術の発展によって日々変わっていく機材や進歩する技術が伴う作品をどう保存するかといったことです。そして作った本人である作家はどんな保存方法を希望するのか。そしてその作家の意図はどう記録していくのか。そうした細かいところも考えていく必要があるでしょう。


植松由佳/うえまつ ゆか
国立国際美術館主任研究員。1993年より丸亀市猪熊弦一郎現代美術館/財団法人ミモカ美術振興財団勤務を経て現職。現代美術を中心に国内外で展覧会を企画。主なものに映像作品によるグループ展「夢か、現か、幻か」や「束芋 断面の世代」「やなぎみわ:婆々娘々」(いずれも国立国際美術館)、ピピロッティ・リスト、エイヤ=リーサ・アハティラ、マルレーネ・デュマス、マリーナ・アブラモヴィッチ、草間彌生、ヤン・ファーブルの個展など多数企画。第54回ヴェネチア・ビエンナーレ日本館コミッショナー(作家:束芋)、第13回バングラデシュ・ビエンナーレ日本参加コミッショナーを務めた。京都市立芸術大学非常勤講師。


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