市民美術大学 2015 田中 正之
ゲルニカ:ピカソのゲルニカをめぐって

1 2 3 4 5

当時の東京美術学校(現東京藝術大学)で工芸の教授をしていた人で、この万博を見に行った日本人がその印象を書き残しています。芸術が個人の表現ではなく、国家主義のために奉仕するものになっている、というようなことを言っています。ピカソが『ゲルニカ』という作品でやっていることは、こういった状況に対するさからいだということもできます。簡単に言ってしまうと、美術が国家主義的なものになっていくことに対する抵抗ということです。

では、それは、どのように『ゲルニカ』で実現されているのでしょうか。現在パリにあるパレ・ド・トーキョーという現代美術館と、パリ市立近代美術館のある建物は、1937年の万博の時に建てられました。また、最新の航空技術を見せる航空館もあり、現存していませんが、ロベール・ドローネーという画家がそこに大きな壁画を描いていました。また電気の技術を展示する電気館の中にもラウル・デュフィという画家が『電気の妖精』という巨大な壁画を描いていて、これは現在もパリ市立近代美術館に展示されています。このパリ万博には日本も参加し、坂倉準三という建築家が日本館を建てています。坂倉準三はル・コルビュジエの元で建築を学んだ人で、その建築は日本のモダニズム建築の代表作となっています。日本館の中では、『観光日本大絵巻』という、グラッフィク・デザイナーの原弘による巨大な写真壁画が作られました。戦争が近づいていたこともあって、平和ということがとても意識されていて、平和の塔というのが建てられたりもしていました。

そういう中に、坂倉準三の知り合いでもあるスペイン人のホセ・ルイス・セルトという建築家が設計したスペイン館がありました。外側は日本館の写真壁画と同じような感じで、写真のコラージュが展示され、それはスペインの共和国政府が一体どんな新しい成果をもたらしているのかを宣伝するような内容となっていました。入り口の横にはフリオ・ゴンザレスという彫刻家による、子どもを抱えて手には鎌をもっている農婦の彫刻がありました。中に入ると、物品展示のためのショーケースや、フェデリコ・ガルシア・ロルカという、内戦勃発とともに真っ先に殺されたスペインの詩人の写真が貼ってありました。つまりスペイン館は、完全にスペイン共和国のプロパガンダとして作られていたんですね。ファシズム側、フランコ側を徹底的に攻撃し、社会主義のスペイン共和国を宣伝するためにあったのがスペイン館でした。そして銃殺された詩人の顔写真と反対側の、吹きさらしの一階に『ゲルニカ』は置かれていました。その手前には、ピカソの友人でアメリカ人の彫刻家、アレクサンダー・カルダーの『水銀の泉』あるいは『水銀の噴水』と言われる作品がありました。スペインに有名な水銀鉱山があって、その労働者の人々に対するある種の記念碑的なものとして作られた彫刻です。中庭があり、そこではスペインの内戦を描いた映画が次々に上映されていました。もちろんスペインのいろんな地方の踊りだとか、工芸品の制作の実演などもなされていたようです。スペイン館の順路としては、1階を見たのち中庭のスロープを登って3階の美術展示室を見るようになっていました。美術展示室では、爆撃された地区、ボロボロになったスペインの町の光景など、戦争の場面が描かれている絵や、戦争に関連する主題を扱った絵が展示され、スペイン内戦一色でした。こういったものが『ゲルニカ』と呼応する関係にあったんです。

また3階には、スペイン地方を紹介する展示がありました。カタルーニャ地方の紹介では、農民が描かれ、鎌が大きなモチーフになっていました。バスク地方の展示では、フランスの詩人ポール・エリュアールの『ゲルニカの勝利』という詩が展示されていました。爆撃されたゲルニカの町は、屈せずに勇気をもって戦い続ける、最終的には勝利を収めるぞという、戦いを勇ましく歌うような詩でした。燃え盛るゲルニカの町の写真や、また『ゲルニカの木』という写真もありました。『ゲルニカの木』というのは、自治と民主主義の象徴の木で、元々はこの木の下に集まって、政治的なことを話し合っていたという中世からの伝説に由来します。その背後に議事堂が作られ、民主主義の重要な場所になっていったんですね。その意味でも、スペインにとってはゲルニカの爆撃というのは、民主主義への攻撃というシンボルになりえたと言えるでしょう。こうしたものが1階のピカソの『ゲルニカ』を見るための背景になっていました。

ピカソとともに当時のスペインを代表する画家であるジョアン・ミロもスペイン館に『刈り入れる人』という壁画を描いています。その後紛失してしまい、カラー写真も残っていませんが、3階から2階に下りる階段の踊り場の壁に直接描かれました。ミロは一般的にはシュルレアリスムの画家と知られる人なので、奇怪な怪物のような姿を描いているように見えるんですが、タイトルから分かるように、農民の姿を描いています。片手に鎌を持ち、もう一方の手は空に向かって突き上げられています。先ほどから何度も鎌が登場しますが、スペイン館において鎌は、とても重要なモチーフでした。その壁画のすぐ横には、セルバンテスのドン・キホーテの一節がフランス語で引用してありました。「自由のために命を危険にさらさなければならない」。つまり、自由のために戦う農民の姿ということが伝えられる展示でした。

ミロはスペイン館のためにポスターを作り、それは販売されてもいました。ポスターには「今日の戦いにおいて私は、ファシズム側に時代遅れの権力を見る。一方民衆は無限の創造力によって世界を驚かせる飛躍をスペインにもたらすだろう」という文章が添えられ、握り拳を手に突き上げるポーズが描かれています。握り拳も頻出するモチーフで、鎌とともに、典型的なスペインの人民戦線、つまり社会主義政権の共和国のプロパガンダのポスターに見られたものなんですね。拳と鎌が、スペイン館全体のプロパガンダ的メッセージを象徴するモチーフでした。

スペイン館の2階には、スペイン共和国の活動や様子に関する展示がありました。例えば巡回教育使節団の写真パネルやプラド美術館の作品の移送についてのものですね。マドリッドが危険なので、プラド美術館の作品を全てバレンシア地方に移し、さらにそれをパリまで持ってきて作品を守るということが当時計画されていました。そのためにピカソが館長に任命され、当時のスペイン政府の美術監督官はパリで移送に関しての講演を行ったりしています。2階を見終わると、出口があり、スペイン館を見終わる作りになっています。階段を下りてくると、もう一度入り口に戻り、1階のホールに戻ってきて、『ゲルニカ』がある場所に戻ってくるわけです。

ピカソがスペイン館の壁画を依頼された時は、当初は政治的ではない主題を考えていました。そして次第に変わっていったんですね。そして最初に出てきたモチーフが、鎌とハンマーを持っている握り拳なんです。スペイン館に何度も出てきたモチーフ、それをピカソ自身も使おうと考えていました。このモチーフはまた、ソ連共産主義を連想させたと思います。スペイン内戦には、イギリスもフランスもスペイン共和国を助けないという態度を取っていました。フランコ側にはファシズムのドイツ、イタリアがついていた。共和国、政府側は当時ソ連だけが支援していた。ですから万博のスペイン館の重要な役割の一つは、フランスやイギリスなどに対しても、スペイン共和国政府を助けてほしいというメッセージを伝えることでした。もし鎌と拳をそのまま使っていたとしたら、『ゲルニカ』はとても国家主義的な作品になっていたでしょう。握り拳のモチーフは『ゲルニカ』の習作にも登場しています。そして本物の『ゲルニカ』の制作を始めた時も、真ん中に突き上げる拳を描いていました。それに麦の穂を持たせて、拳と農民的なイメージを重ね合わせるということも、最初の段階ではしていましたが、最終的にはやめています。自分の作品を、ある意味明確なモチーフがはっきり見えないような、分かりにくい抽象的な作品にしていったんですね。ミロの作品がとても分かりやすいイメージだったとすれば、ピカソは自分の『ゲルニカ』を、ある意味とても分かりにくいものにしたんです。


1 2 3 4 5