市民美術大学 2015 田中 正之
ゲルニカ:ピカソのゲルニカをめぐって

1 2 3 4 5

その代わり何を表現したかというと、牛と馬と光を重要なモチーフにしていきます。習作の段階から牛と馬が繰り返し登場しています。完成後の『ゲルニカ』解釈は、牛と馬をどういうふうに読むかで展開しました。『ゲルニカ』発表の直後から、牛がファシズムで、フランコの残忍性を表していて、倒れて死にかけている馬は、今にも倒れそうな民衆や共和国を表している、という解釈が出てきます。あるいは全く逆に、牛が共和国で馬のほうがファシズムを表しているという解釈も出てきます。こういった解釈が、なぜ出てきたかというと、ピカソ自身が「牡牛は野蛮を、馬は民衆を表している」という言葉を残しているからなんですね。実際、ピカソの古い作品を見ると、版画ですが、牛が馬を食い殺していて、その闘いの姿に少女が光をかざしているというのがあります。そのため牛は野蛮だという感じが強いんですね。しかしピカソは同時にこうも言っています。「牡牛はファシズムではない、それは野蛮と暗黒なのだ」と。野蛮だからファシズムだとは思わないでほしいということです。実際、牛はピカソにとっては両義的で、『フランコの夢と嘘』という版画作品で、奇妙な怪物の形をしているのがフランコで、牛がフランコを倒すという場面を描いています。シンボル的な解釈を、ピカソ自身は否定していました。「ここには確かに鳥がいる、鶏だったか鳩だったか、テーブルの上のものが何であったか、今となっては正確に思い出せない。鳥は鳥であって、それはもちろん象徴だ。だが芸術家は象徴を作り出すことに精通しているわけではない。もしそうしたいのであれば、私はそれらを絵に描く代わりに言葉を費やして描写すべきなのである。絵を目にした大衆は、馬や牛の中に自分たちが理解したままの象徴を見てとるのだ。ここには幾つかの動物がいる。それが全てであって、私には関係ない。ただ大衆がそこに見たいと思うものを見るだけだ」と言っています。「牛は〜のシンボルです」といった一義的な解釈をピカソは持たせたいわけではなく、それゆえに『ゲルニカ』は難解な作品になっています。
 実際絵を見た人がどんな反応を示したかについての記録が残っています。画家のオザンファンがたまたま目にした光景を記録したものなんですが、あるフランス人のお母さんと子どもの会話です。

「ある女性が私のテーブルを通り過ぎた。彼女はスペイン戦争の写真展がある2階から下りてきた。写真には子どもたちがキリスト教徒やフランコのムーア人、外人部隊によって虐殺されていた。女性は自分の娘に言った。『なんとまあ恐ろしい、蜘蛛(くも)が首筋をはい降りたみたいに背中がゾクゾクするわ。』彼女は『ゲルニカ』を見て子どもに言った。『ここに何が表されているかは理解できないわ。でも全く嫌な気分になる、変な感じ。全く自分が切り刻まれてしまったみたいに感じるわ。さあ行きましょう、戦争って酷いわね、可哀想なスペイン』と言った。」

何が描かれているのか分からないが、とても嫌な感じがするというのは、ピカソが『ゲルニカ』でやりたかったことの一つでしょう。スペイン館の会場で売っていた『ゲルニカ』のポストカードには、裏にこんなことが書かれています。「キュビスムの創始者であり、現代の造形美術に非常に強い影響を及ぼしたスペインの偉大な画家パブロ・ピカソは、この作品において戦争の恐怖にさらされている世界の崩壊を表現しようとした」。これが一番公式的な作品の解釈、理解の在り方で、ここに描かれているのは世界の崩壊、黙示録的情景だということです。スペインのことでもゲルニカのことでもなく、ゲルニカが爆撃されたように、世界も滅ぶだろうというのが、ここにあった基本的なメッセージでした。
 最終段階で付け加えられたモチーフは、横たわっている人の顔です。大洪水で人類が滅んだという聖書の場面を描いた写本にあった人の顔の描写をもとに描かれています。つまり人類が滅んでいる姿を重ね合わせて、『ゲルニカ』を表現していったわけです。明かりを持つ女性は、野蛮に向かって光を当てるということもそうですし、襲ってくる野蛮な力である牛に対して、光をもって立ち向かうという意味もあります。
 光を持つイメージというのは、恐らく万博の中でも象徴的な意味を持っていました。自由の女神は、ご存知のようにニューヨークに置かれていますが、パリにも2体置かれています。元々はフランスが米国の独立百周年の記念に贈ったものなんですね。作ったのはフランスの彫刻家フレデリック・バルトルディ、中の骨組みはエッフェル塔を作ったギュスターヴ・エッフェルが担当しています。「自由の女神」と日本では言われていますが、正確なタイトルは「自由」で、掲げている光は、自由の象徴です。それが万博のポスターにも使われていました。明かりを持った女性の姿が描き出されている別のポスターもあります。万博では、光を持っている女性が万博全体のモチーフにもなっていて、そこでは自由や民主主義、そして野蛮や暴力に対抗するものの象徴として、明かりというものが描かれていました。
 『ゲルニカ』で描かれているのは、光が闇に立ち向かうというイメージですが、ピカソは、鎌、ハンマー、突き上げられた握り拳など、プロパガンダ的な明確なシンボルを『ゲルニカ』から外していきました。芸術というものがどんどん国家主義的な表現になる中で、自分の作品も特定の国家主義的な作品になることを避けるためでしょう。もし拳や鎌をリアリズム的な表現で描いていたら、社会主義リアリズムの表現と結び付けられて『ゲルニカ』も見られ、社会主義、ひいてはソビエトの国家主義的なものと結びつけて見られていたでしょう。シンボルをはずしていったのは、そういったことに対する、芸術における個人主義的な表現の、ある種の抵抗でした。一つの国、一つの町の爆撃にとどまらない、「世界の崩壊」というもっと大きな普遍的な意味内容に自分の作品を変えていこうとしたんです。万博と機を一つにしながら、万博会場全体を覆っていた国家主義的あるいは党派的、政治的なものに対抗するものとして『ゲルニカ』という作品はあったのではないでしょうか。


田中正之/たなか まさゆき
武蔵野美術大学教授。東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。1990年から1995年までニューヨーク大学美術史研究所に学ぶ。1996年より国立西洋美術館に勤務し、「ピカソ、子どもの世界」展(2000)、「アメリカン・ヒロイズム」展(2001)、「マティス」展(2004)、「ムンク」展(2007)などを企画。2007年より武蔵野美術大学に准教授として勤務し、2009年より教授。


1 2 3 4 5