CCA建築ワーク・ショップ 五十嵐太郎氏
「建築/アート/リノベーション」
五十嵐太郎氏x笠原一人氏x倉方俊輔氏
「八幡市民会館の可能性と、北九州の未来」

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プログラム論

プログラム論とは、いわゆる用途変更に関わる論です。例えば、私たちは観光地としてローマのコロッセウム(写真4)を訪れます。

写真4
写真4 コロッセウム

現役時代は猛獣との闘いや、人間同士が殺し合っていたスタジアムですが、その後、歴史的に様々な使われ方をしています。住居として不法占拠されたり、あるいは、資源のリサイクルとしてコロッセウムの石が活用されたこともありました。18世紀になると、美の対象として見られるようになり、観光資源となりました。長い時間の中で、当初の意味が次々と変わっていったのです。
 建築論の話になりますが、ポストモダン建築の時代にベルナール・チュミ(※2)が注目されました。彼の著書『建築と断絶』では、過激なリノベーション的アイデアが示されています。彼は、形態は機能に従うのではなく、両者は断絶していると述べています。近代建築やモダニズムでは形態と機能がセットですが、それは切断可能であると示しています。先程の青木淳の著書『原っぱと遊園地』もそのバリエーションだと思います。
 チュミは、構造主義や記号論などに必ず登場する、「シニフィエとシニフィアン(※3)」という言語学の話にも触れています。70年~80年代に流行しましたが、これは先程述べた形態と機能の話に似ています。形態という「器」と、その意味や内容という「機能」がズレることを、彼は「シニフィエとシニフィアン」になぞらえて説明しています。つまり、「形態=器」と「機能=意味内容」の両者は恣意的な合体の仕方をしているので、切り離すことができるということを意味しています。
 最近、それを目の当たりにしたのは東日本大震災です。2011年の震災から3週間程後に岩手県大船渡市へ行った時に、避難所となっていたリアスホール(※4)を訪ねました。新居千秋さんが設計したリアスホールはホールと図書館の複合施設ですが、津波によって多くの人が住む場所を失ったため、この時は避難所として集合住宅のように使われていました。つまり、ホールが集合住宅へ瞬時にコンバージョンされたのです。リアスホールはリアス式海岸に着想を得て、建物の形状がひだ状になっており、内部は小刻みに分節されています。その分節されたそれぞれの空間に、避難してきた人たちが自分の居場所を作っていました。それはプライバシーの確保が難しい、だだ広い体育館の避難所よりも居心地が良さそうでした。
 そのような意味でも、東日本大震災は多くの公共施設が本来の用途と異なるものとして突如使われ、ある種、別の機能を試された機会であったとも言えます。

伽藍とバザール

『伽藍とバザール』(※5)とは、オープンソースの思想についての論考です。トップダウンによる完璧な計画で提案することを「伽藍型」といい、それに対して、色々な人たちがアイデアや技術を持ち寄り、一緒に交換や改良していくことを「バザール型」と呼びます。
 リノベーションは、一般の人と専門家との敷居を低くしている点が面白いと思います。新築を想像するのは専門的な能力が必要ですが、既に存在するものからの変化を想像するのは比較的容易で、専門家ではない人でも介入したり参加したりする余地があります。そのような意味で、リノベーションは一般の人も参加できるプラットフォームとして機能する可能性もあり得ると思っています。
 その事例の中で、私が個人的に印象深かったのは、大阪市北区中崎町にある「サロン・ド・アマント(天人)」です。この地区に点在するリノベーション・カフェの走りと言えるお店です。その常連客が、いつの間にか運営側として「サロン・ド・アマント(天人)」のセルフリノベーションに加わっていきました。例えば、写真家の人は暗室を作り、コミュニティーラジオをしている人は放送局を家の中に作っています。このように、専門家ではない様々な人たちが出入りして、手を加えていくという「バザール型」の介入の仕方もあります。

記憶の集積としての都市

最後に、外部化された記憶について、つまりリノベーションや古い建物がどのような意味を持つのかという話をしたいと思います。
 押井守監督の『イノセンス』というSFアニメーション映画の中に「都市は巨大な外部記憶装置」という印象深い台詞があります。この物語は、電脳化のテクノロジーが進み、人間が生きてきた様々な記憶を外部化し、他人と共有することが可能になった未来を想定していますが、そのとき記憶の集積が都市であると述べています。つまり、都市や建築は、人間のアイデンティティを維持する記憶の一部なのではないか。私は、色々な時代や歴史が重層的に重なった都市が基本的に良いのではないかと思っています。
 例えば一般的には、いわゆる保守的な意味合いでパリの街並みが好まれます。私の場合はちょっと違っていて、中世や近世、近代や現代のどの時代でも、実験的なことをパリはやめていないからこそパリの街並は良いのだと思っています。昔だけをただ肯定し、保守化するわけではなく、昔を残しながらもそれを更新しようとしている、複数の時間を止めないまま今も動いているところが良いなと思っています。そういう意味で私は、原理主義的な保存論者ではありません。
 名建築の後にごく稀に名建築ができることがあります。ただ、ほとんどの場合、名建築の後にはダメな建築ができてしまうケースが多いと思います。
 建築の面白さというのは、建築が純粋な工学的技術だけでできていないところです。工学の分野では、2,3年前のものはすぐに古いものになってしまいます。しかし、建築が面白いのは、一番新しいものが一番良いとは限らないことです。例えば、800年前のゴシックの大聖堂は、超高層ビルを見慣れた21世紀の私たちでさえ素晴らしいと感じます。これは決して絶望することではなく、今私たちが造っているものが100年後、500年後にも素晴らしいと評価される可能性があるということです。建築の場合、工学とは違う関係性を含んでいるので、そこを大事にしていかなければならないと思います。

質疑応答

【参加者】
 これからのリノベーションは、ポストモダン建築も対象になっていくのではないかという話があります。ヨーロッパでは以前からリノベーションが盛んであるのに対して、日本のリノベーションはどのような方向に進んでいくと予想されますか。

【五十嵐太郎】
 リノベーションの重要性は増すと思います。ただ現実的に、スクラップアンドビルドの方が便利で、お金が中央から入ってくる環境が作られているので、今の社会制度や法律制度を変えなければならないと思います。
 また、国も観光に力を入れている割には、建築を大事にしているように見えません。実際に、観光の半分は建築を観に行っているようなものです。常に新しいものを作ったところで観光に役立つとは思えません。かといって他所の街でやっている建築を他の街でも造るというのも、それはそれで意味がない。そういう意味でも、街の資産を大事にする気持ちがあれば、それは壊さない方が、あるいはしばらく放置しておいた方がいずれ必ず価値を持ちますし、今後重要になってくると思います。


五十嵐太郎/いがらしたろう
建築史家・建築評論家。東北大学大学院工学研究科教授。1967年フランス・パリ生まれ。東京大学大学院修士課程修了、博士課程「新宗教の空間 その理念と実践」で学位取得。著書に『終わりの建築/始まりの建築』『戦争と建築』、共著に『リノベーション・スタディーズ 第三の方法』『リノベーションの現場 協働で広げるアイデアとプロジェクト戦略』『見えない震災 建築・都市の強度とデザイン』などがある。


※2 ベルナール・チュミ
建築家/都市計画家/建築評論家。1944年スイス生まれ。チューリッヒ工科大学卒業。AAスクールをはじめ各地で教鞭をとり,1984年よりコロンビア大学建築プランニング保存学部長。1981年『マンハッタン・トランススクリプト』を出版して建築の用途・形態・意味の相互間の関係を論じたほか,多くの論文・著作を発表。


※3 シニフィエとシニフィアン
基本的には、言葉が持っている「音と意味合い」を分ける考え方。「シニフィアン」はいわば器の部分であり、文化圏によって異なる音声や文字。「シニフィエ」は意味や概念をさしている。


※4 リアスホール 
岩手県大船渡市にある市民会館と図書館の複合公共施設で新居千秋の設計。リアスホールは東日本大震災時、完成して間もない頃で、正式な避難所の指定を受けていなかった。


※5 『伽藍とバザール』(1997年、英名:The Cathedral and the Bazaar)
エリック・レイモンド(Eric S. Raymond)による、ソフトウェア開発についての論考。


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