市民美術大学 2015 保坂健二朗
フランシス・ベーコン 20世紀ならではの画家

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CCA市民美術大学 美術講座 2015
1人のアーティストを語る
2015年11月21日 東京国立近代美術館 主任研究員 保坂健二朗
フランシス・ベーコン 20世紀ならではの画家

ベーコンを語る際、幾つかのポイントがあります。まず、フランシス・ベーコンという人が生きた時代は、1909年から1992年です。日本に置き換えますと、明治42年に生まれ、平成4年に亡くなっています。つまりほぼ20世紀を生きた画家なんですね。生まれたのはアイルランドのダブリンですが、育ったのはイギリス、ですから多くの場合イギリスの作家として扱われます。そして彼はホモセクシャル、同性愛者として知られていました。時代的には実存主義の作家として紹介されることが多く、ギャンブル好きで、人物像を多く描いた人です。また、一般にはあまり知られていませんが、元々は家具デザイナーとしてそのキャリアを出発しました。面白いことに、元デザイナーなのに、自分のアトリエは、非常に汚く、カオスのような状態でした。そういった、両極端が共存するというのもベーコンの特徴です。

ベーコンの展覧会は日本ではあまり開催されませんが、欧米では数多く開催されています。スペインのプラド美術館やアメリカのメトロポリタン美術館などで開催されるなど、世界の名だたる美術館がベーコンの展覧会を開催しています。また、プラドやメトロポリタンなど、古い美術をメインに扱っている美術館でも開催されるのが、大きな特徴です。

2004年にスイスのバーゼルにあるバイエラー財団という、美しい空間の美術館で開催されたのが『フランシス・ベーコンと美術の伝統』という展覧会でした。僕も幸い見に行けたんですが、ベーコンの作品と、ベラスケスなどの古典作品を一緒に展示するものでした。こういった展示は、なかなか20世紀の他の画家ではされないことだと思います。ベーコンの場合、そういう過去の時代の作品からいろんな刺激を受けて制作していたことが明白なんですね。ですからそういった展覧会がしばしばなされているわけです。

ベーコンは、自分がキュレーションをしたこともあります。ロンドンのナショナル・ギャラリーが「アーティスト・アイズ」という展覧会のシリーズを開催していたのですが、その第1回のキュレーターがベーコンでした。マネの《皇帝マクシミリアンの処刑》ですとか、スーラの《アニエールの水浴》ですとか、自分自身が興味を持っている過去の作品を集めて展示したんですね。ベーコンの作品は主に人体を扱っていますから、20世紀の芸術家の中でも伝統に深く根ざしていると言われていますが、ベーコン自身、明確に美術史を踏まえた上で作品をつくっていたということが、こうした事実からも分かると思います。

もう一つ、ここ数年ベーコンの展覧会が続いている大きな理由があります。ベーコンは、多くのアーティストがそうであるように、一緒に仕事をするとたぶん面倒な人だったんですね(笑)。生前は、展覧会や広報に関しては、ベーコンによる検閲、情報操作が厳しくありました。自分自身をどういう作家に見せたいか、ということに対して意識的な人だったんです。

一番有名な話は、ドローイングに関してのものです。ベーコンは、「自分はとにかくドローイングを描かず、キャンバスに直接描いていって、そこにおける偶発性に任せる。偶然とコントロールの狭間で絵ができることが、自分にとって重要なんだ」というようなことを常々言っていました。でも、亡くなった後にアトリエを探してみると、ドローイングがたくさん出てきたんです(笑)。生前展覧会をやろうとすると、とにかくそういう情報はシャットアウトしなければならなかった。ベーコンとデイヴィッド・シルベスターという有名な美術批評家との対談があるんですが、そういったものにも全て、ベーコンは細かく校正を入れていたと言われています。そういった情報操作の中で彼は「ベーコン像」を自ら作り上げていたところがありました。それが没後、彼のアトリエなどから膨大な資料が見つかり、これまでとは違うベーコン像が浮かび上がってきたわけです。それゆえ、彼の死後、つまり1992年以降、客観的なベーコン研究が急速に進んで、様々な展覧会が開催されているのです。

ベーコンが亡くなった直後のアトリエが撮影されたものを見ると、キャンバスが置かれていて、描きかけのものなどがありますが、床にたくさんの資料があることが分かります。彼のアトリエは、ロンドンの中心部にあったんですが、今は彼の生まれ故郷のダブリンで見ることができます。いろんな事情がありまして、ダブリンの美術館がベーコンのアトリエを、部屋ごと収蔵したんです。その際、そこにある資料全てを移す必要がありました。その時呼ばれたのが、考古学のチームだったと言います。文字通り山のようになっている資料を、例えば床に近いほど古い資料だという風に、全て位置によって分類して、写真もとりデジタル化もした上で、ダブリンに移されたというわけです。

ところでイギリスにウォルター・シッカートというアーティストがいます。日本ではあまり知られていない作家ですけれども、ベーコンは、構図などから察するに、恐らくシッカートの絵が好きだったはずです。そしてシッカートのアトリエも、負けず劣らず汚かったんです。ひょっとするとベーコンは、シッカートのアトリエをなんらかの形で知っていて、その汚いアトリエに憧れていたんじゃないかとすら思います。そう思う理由についてはまた後でご説明したいと思います。

20世紀には色々な美術運動、イズムがありました。ポスト印象派、キュビスム、未来派、シュルレアリスム、コンセプチュアル・アート、抽象表現主義、など、いろんなアートの運動が生まれていった時代が20世紀です。ベーコンはそうした時代を生きながら、一貫して、基本的に人物像を描き続けていました。時代の流行からは常にズレていたわけです。シュルレアリスムからもズレていたし、抽象表現主義からもズレていた、孤高のアーティストと言えます。そういうこともあって、生前から高く評価されてはいましたが、20世紀の美術史を取り上げる概説書を読むと、ベーコンという名前は出てきますが、たいがいは、簡単に触れるだけです。概説書は大抵、「20世紀初頭にはこういう動きがありました」というように、主義や動向を中心にして書かれています。ですから、その動きに関わっていれば丁寧に取り上げられますが、ベーコンは違うんですね。美術史の主流や流れから外れてしまっている……でもだからこそ、その重要性が今評価されているとも言えるんです。

また、20世紀は戦争の時代だとよく言われます。ご存知の通り80年代までは米ソを中心とした冷戦がありました。何年か前に、第三次世界大戦の開戦に備え、有事の際にエリザベス女王が発表するためにと、イギリス政府が1983年に作成したスピーチの原稿が発見されました。それぐらい時代は緊迫していたということです。ベーコンは、自分自身のデビューを1944年としています。第二次世界大戦が終わる直前ですね。すぐに大戦は終わりますが、イギリスも、戦争から立ち直るための大変な時期が長かった。しかも、冷戦の時代を迎えると、いつ核戦争が起こってもおかしくない雰囲気が続きました。ベトナム戦争、キューバ危機、プラハの秋など、数々な歴史的な事変もあり、戦争を予感させるような抑圧的な空気の中で、ベーコンは制作していたわけです。この事実を念頭に置いて、これからご紹介する作品を見ていただければと思います。


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