市民美術大学 2015 野口 剛
尾形光琳 近世京都のデザイナー

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光琳研究に欠かせない資料に「小西家文書」というのがあります。光琳は女性関係も派手で、多くの女性と付き合い、子どももたくさんいました。その一人、さんという女性の間に生まれた子ども・寿市郎が養子に行った銀座役人、小西彦九郎家に代々伝えられた資料のことを小西家文書といいます。小西家文書には尾形光琳の生家である雁金屋や、光琳自身の家庭、経済、趣味の記録、あるいは光琳の筆になる写生や粉本、工芸図案などが含まれているんですね。これによって光琳の生涯は非常によく分かるのです。先ほど紹介した、宗達や光悦の作品を質に入れたり売ったりした不名誉な記録も、小西家文書に含まれています。

小西家文書の中の図案に、このような桐の葉を描いたものがあります。そしてこれによく似ているのが、「光悦謡本」と呼ばれる本の表紙に表された桐の模様です。光悦謡本とは、光悦流の書体による古活字の観世流の謡本ですが、その表紙や本文料紙には、木版による雲母摺(ず)り模様があります。たくさんあるそれらの模様は、同時期に俵屋宗達が制作していた金銀泥絵と通じるモティーフや表現があり、その下絵は宗達が作ったのではないかと言われています。

小西家文書の中には、他にも光琳の描いた三羽の鶴の図案もあるんですが、これも光悦謡本の表紙に、三羽の鶴を描いた模様があり、それによく似ています。つまり光琳は、宗達がデザインした木摺り模様を写していたということで、これが大変興味深いのです。

さらに、光悦書の巻物作品で《花卉摺絵新古今集和歌巻》というのがあります。梅、藤の花、竹、芍薬、蔦の5種類の植物が巻物の下絵にあらわされ、その上に書が描かれています。この植物の模様も木版で、木版に金や銀を塗り、紙に押してあります。藤の部分などは同じ版木を何度も使って、連続模様が作られています。同様の金銀泥摺りの巻物は人気があったらしく、かなりの数の作品が伝わっています。あるいは、尾形家にもあったんじゃないか。そして光悦謡本の雲母摺りに関心を寄せていた光琳は、こういう金銀泥摺りの巻物における版木の使用、連続模様の視覚的効果にも興味を持っていたのではないか。

光琳は光悦謡本の雲母の版画を勉強していた。だとしたら、金銀泥摺りの巻物も目にして、そこでの同形反復の魅力に興味を抱いていたとしても不思議ではありません。もしかしたら《燕子花図屏風》も、こういった巻物に見られる、木版の何度も押すというところから発想を得たのかと想像するのです。

先ほども申し上げました《燕子花図屏風》に見られる同形反復のアイデアの源は、これまでは着物のデザインにあるんじゃないかと言われていました。染織には「型染め」というのがあり、型で同じ模様を繰り返すのです。そうした染織における「型」がヒントにして、光琳は《燕子花図屏風》にあるような同形反復を行ったんじゃないかと。もちろん染織もヒントになったかもしれませんが、こちらの光悦の巻物における版木を用いた反復の方が、《燕子花図屏風》により一層近い。巻物は横に長く続きますが、屏風もいわば横長の画面です。そうした横長画面における同型反復という点では、巻物の方が視覚的な効果が近いのです。

光琳が絵を描き始めて10年前後でこんな作品が描けた背景には、もちろん幼い頃から親しんだ着物のデザインもあったでしょう。でも、より直接には、木版による金銀泥摺りがヒントになって、芸術的な飛躍を遂げたのではないかと思います。

もう一つ《燕子花図屏風》で注意しておきたいのが、屏風の折れ目を計算に入れて構図をつくっているところです。実際に屏風を折って立ててみると、燕子花の群れが形づくるジグザクの頂点が山や谷の折れ目に一致する。すると律動感が強調されると同時に、居並ぶ燕子花に奥行きが生まれて、まるで3D映像のような視覚効果が生じる。屏風というのは本来このようにジグザグにして立てておく調度品です。光琳は、そうした立体物であることを強く意識して屏風絵をつくっているんだと思います。

光琳の造形感覚を、俵屋宗達と比較して少し見ておきます。

光琳は、宗達が描いた《風神雷神図屏風》を模写しています。写したのは比較的晩年と言われています。比較すると写したことは一目瞭然なんですが、一方で光琳ならではのアレンジも見えます。例えば風神の背負った布は、宗達では画面の枠をほとんど出そうになっていますけれども、光琳では完全に絵の枠内に収まっています。雷神の太鼓も、宗達のものは枠から完全に外に出ていますが、光琳では絵の中に収められています。雲も宗達の作品はモヤモヤとした墨が金地に溶け込むようですが、光琳の方は黒々として明確、墨の存在感がしっかりしている。宗達の作品が画面の外にグーッと空間が広がっていくような感じなのに対して、光琳の作品は、画面の中にキュッと収まっているんですね。宗達の作品は画面を越えて世界が広がっていくのに対して、光琳は画面の中に一つの完結した世界をつくっています。

もう一つ光琳が写したものに、宗達周辺の画家が描いたとされる《槇楓図屏風》があります。これも構図などよく似ていますが、よく見るとずいぶん違います。宗達の方は木が重なりあって密に詰まっていますが、光琳の方はばらけて、少し広がっています。宗達の作品がうっそうとした槇の林を表現して、そこに描かれるのがやはりより大きな空間の一部であるかのように感じさせるのに対して、光琳は、木々のリズミカルな構成が前面に出るようにアレンジして、やはり画面の枠内で完結する軽やかな韻律が作品の見どころになっています。

先行する作品の模写は、古美術においてしばしば見られるものですが、光琳による宗達模写は、単なる模写に終わらず、独自の改変を加えるんです。しかもそこには光琳の個性が際立つ。自分の「表現」を打ち出すという点では、それまでの美術史における模写のあり方と異なって、より「アーティスト的」であるとも言えるかもしれません。一方で、空間の広がりや深まりといった「絵画性」より、平面的なレイアウトに関心が向かってゆくところには、《燕子花図屏風》と同様、やはり光琳がデザイナーとして持っていた傾向の一つがうかがえます。

光琳は様々な器物にデザインを施していきます。

《水葵蒔絵螺鈿硯箱》という作品があります。光琳蒔絵と言っても、蒔絵、漆工には高度に専門的な技術が必要なので、それを自ら制作したというのではなく、制作は蒔絵の専門職人がやり、光琳はあくまでデザインを提供しているとすべきです。先の書状に見るように、作品を光琳自ら販売営業していることから、光琳は、単なる意匠作家ではなく、制作の主体でもあったはずです。光琳は、蒔絵を制作する工房を抱えていたということなのでしょうか。さて、この作品の図柄のヒントとなるものがやはり小西家文書にある下絵の中にあります。これがその《水流に浮草図》です。いずれとも、水流をたっぷりと配した中に水葵と菱が描かれています。サイズ的にも直接の下絵とは言えませんが、逆に、光琳が色々なデザインを蓄えて、それを器物の適用していくことをうかがわせます。光琳が作品をつくっていくプロセスの一つが、下絵と作品から見えてきます。

光琳の絵の中に比較的多いのは円い形です。光琳は円い形にモティーフを配置するのがたいへん得意だったようで、団扇型の名品がたくさん残っています。例えば《紅葉流水図団扇》では、円い形に、それに呼応するまろやかな稜線を持つ緑の山を描いて、その山のふもとには青い絵の具で水流を描き、山の形をくっきりさせる。さらに山には数本の木を描いて、縁のところに赤い楓の葉っぱを3枚、4枚散らす。楓の葉っぱが全て円い画面の枠で切られています。こうしてトリミングすることによって逆に、錦繍(きんしゅう)のごとき紅葉でいっぱいの山の様子をイメージさせます。他にも、光琳には団扇絵の名品が多いのですが、これは、蒔絵の皿や、後にお話しする弟・乾山とのコラボレーションである皿の絵付けを通じてトレーニングされたものかもしれません。

光琳は実は、着物のデザインも若い頃からやっていたようです。光琳が42歳の時に出版された『好色文伝授』という本の中に、光琳が水墨で描いた墨絵の小袖が登場し、そうしたものが当時大変人気があったことがうかがえます。42歳という画家としてはまだ駆け出しというべき時期に、着物に絵を描くという、普通の画家ならば名を馳せた末に座興で行うようなことをして名声を得ていた。ここにも、通常の画家とは異なる、光琳の生き方が浮かび上がっています。やがてこうした光琳による着物の意匠は、光琳の筆から離れて独立していきます。「光琳模様」と呼ばれる、例えば梅や松を扁平な楕円をベースに単純化した模様です。光琳自身がデザインしたというよりは、光琳が描いていた着物の模様のイメージが着物の制作者の間に広まっていって、光琳の名前を使って流行を作り出していこうとするところに生まれたと考えられます。もとより、そうした単純化は、光琳デザインの中に胚胎(はいたい)していたのは言うまでもありません。

《流水図乱箱》という作品では、箱の中に水を描いています。これも大変面白いもので、他の画家にこういった作品はありません。箱の中に金箔を張って、そこに青い絵具を使って、ゆったりと流れるような、あるいはわだかまっているような、微妙な水の表情を描いています。まるで箱の中に水を入れた様子をイメージさせるような器物、不思議なデザインです。先ほど蒔絵に水のデザインを施したものがありましたが、光琳は揺れ動く水とか、ゆっくりと流れる水の様子を好んで描きました。それは、《紅白梅図屏風》の表現にも関係してきます。

《白梅図香包》という作品があります。これは、お香で用いる香木を包んでおくための包みで、現在は包みを開いた状態で掛け軸に表装されていますが、本来は、絵のある方を外側にして、中に香木の破片を入れて折り畳んで使うものです。面白いのは、畳んだ状態から包みを開いていく過程での、模様の見え方の変化です。開くたびに、それまで見えなかった部分が見えるのですが、その都度変化のある、かつ見えるスペースのなかで常にバランスよく梅の枝が配置されているのです。要するにパッケージのデザインですが、こうした平面と立体、絵画と工芸の中間にあるような作品も、光琳の魅力をよく伝えてくれます。パッケージといえば、光琳が長命草という薬草の入れ物や、お菓子の箱にも絵を描いたことが記録に残っています。光琳は、そんな様々なパッケージにしゃれた絵=デザインをつけていたのです。やはりデザイナーの仕事です。


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