市民美術大学 2015 野口 剛
尾形光琳 近世京都のデザイナー

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光琳と工芸デザインの関係を考える際にもう一つ重要なのは、弟である乾山との合作です。光琳がもっぱら画家、蒔絵などの意匠制作の道に進んだのに対して、乾山は陶芸家になります。陶芸も、現在は一人の陶芸作家が土をこね、成形し、焼き、あるいは絵付けまでするケースが少なくなりませんが、当時の陶芸家について言えば、たくさんの職人を抱えた工房の主宰者を想像したほうがいいでしょう。乾山の名のある焼き物には、中国風のものや、ヨーロッパの意匠を取り入れたものなど、様々なタイプがあります。そしてある時期から光琳が絵付けをするようになる。乾山は工房の主宰者であり、自ら土をこねたり焼いたりというよりは、プロデュースする役割です。こんな焼き物を作ったら面白いんじゃないか、そういう発案をして工人たちに作らせる。そこに、デザイナーとして光琳がかんで来たということですね。

乾山焼きで光琳の関与が明らかなのは、銹絵(さびえ)という鉄絵具を使った絵画的な意匠が施され、光琳の落款のある器です。例えば、茶の湯で用いる《銹絵掻落蔦図火入》。白化粧に銹絵で描き、細部を釘彫りの細い線で白くかき落とす技法は中国の磁州窯などに見られるもので、これはそれを模したものですが、作品の魅力のひとつは、生き生きとした蔦の表現にあります。蔦は、やはり宗達に由来する光琳好みのモティーフで、団扇や香包みにも描いていますが、それらには一貫してラフで洒脱な雰囲気があります。絵付け職人による、巧拙を超えたところでの「謹直さ」とは異なる、画家でもある光琳だからこそできる絵画的なデザインになっていると言えそうです。

《深省茶碗絵手本》というのがあります。「深省」とは乾山の号。では「乾山」というのは何かと言うと、京の乾、北西に位置する鳴滝に位置していたことによる窯の名で、本来は、号である深省と呼ぶべきところです。《深省茶碗絵手本》は、光琳が深省、すなわち乾山のために描いた茶碗の図案集ですが、こうした手本の存在は、絵付け職人がそれをもとに施工することを示唆しており、すなわち、光琳が直接筆をとっていない作品にも、光琳デザインが含まれている可能性があります。

さらに、乾山が京都市中の二条丁字屋町に窯を移して以降の、デザイン性あふれる型作りの色絵の作品。これらに、光琳はどれくらい関与したのでしょうか。

初期の《燕子花図屏風》から、こうした様々な工芸作品におけるデザインを経て、晩年になって制作したのが《紅白梅図屏風》です。

《燕子花図屏風》が、右隻と左隻に充実した対比が設定されながら、基本的には極めてシンプルな画面であったのに対して、《紅白梅図屏風》には、様々な異なる要素が対立したり、せめぎ合ったりしている様子が見てとれます。例えば右隻の紅梅は若木で、盛んに細い枝を上に伸ばしていますが、左隻の白梅は、いったん幹が画面の枠の外に出てから再び入って来る、それほど屈曲している、すなわち老木であることが示されており、ここには若い紅梅と年を経た白梅の対比があります。そうした若さと老いの対比とともに、直線的に伸びる枝と、湾曲する枝や折れ曲がる枝の対比がある。その対比を、画面中央の優美なS字型の水流が際立たせているようにも見えます。

この絵の最大のポイントは、この中央の水流の表現にあると言ってよいでしょう。「観世水」とか「光琳水」などと呼ばれる、幾何学的な、あるいは抽象化されたとも言える表現です。まさしく模様と呼ぶにふさわしい。そういう模様のような水流が、いわゆる「たらしこみ」技法が表皮をリアルにあらわしている写実的な梅と、やはり対比をつくっています。模様が絵画の中に侵入している、と評することもできるでしょう。

この水流は、今は黒地に茶褐色の波模様が見えますが、本来はどんな色だったのか。様々な説がありますが、最近の化学分析では、まず全体に銀箔を貼った上に礬水(どうさ)といわれるもので波模様を描き、その後、硫黄で燻蒸することで、礬水を塗った部分以外が硫化して黒くなったと考えられています。硫化が及んで、現在では波模様の部分も茶色っぽくなっていますが、元々は恐らく銀色だった。そうするとこの絵は、周囲の金に対して、中央に黒地に銀の波模様がある、すなわち金に銀と黒が対比をなす、今よりさらに斬新な印象の屏風だったと想像されるのです。

明らかに異質な素材を画面に持ち込む発想は、漆と金による蒔絵に、螺鈿や鉛などの素材を組み合わせる光琳蒔絵、それは光悦蒔絵の方法を踏襲するものですが、そんな漆工芸の意匠制作によって導かれたものかもしれません。金属の性質にも通じた、工芸デザイナーだからこそ生まれた表現であるとも言えます。

こうした実験的な要素も含む、難しい諸要素が、しかし、結果として画面に見事な調和を生み出しているところに、《紅白梅図屏風》の素晴らしさがあります。

一方で、《紅白梅図屏風》にも、宗達や光悦以来の伝統が息づいています。梅の花の、5枚の花弁を一つづきに表す非常に単純化された表現、これも光悦謡本の表紙などのそれを基にしていると考えられます。また、枝ぶりにもどこか光悦謡本などとの共通性を感じさせるのですが、そうした枝ぶりのうち、とくに、左隻のフレームを出入りする枝の表現は、この作品以前に、光琳自身が《孔雀立葵図屏風》や《銹絵梅図角皿》といった作品ですでに行っていたものでもあります。初期の《燕子花図屏風》は、尾形家に伝わってきた文化遺産を糧にしながら、光琳が一躍飛躍した作品でした。その後、工芸的作品の意匠制作に関りながら、様々なデザイン的な試みを経たのちに、斬新きわまりない屏風絵を描くに至る。光琳のデザイナーとしての集大成が《紅白梅図屏風》だったと思われます。

《紅白梅図屏風》もまた、実際に折り曲げて立ててみると、水流や紅梅の湾曲がさらに強調されたり、あるいは白梅の鋭角的に曲がっているところがちょうど屏風の折れ目に位置していたりして、枝先がぐっと手前に迫ってくるように見えます。平面上で持っている動きが、より一層強調されてきます。《燕子花図屏風》と同様、光琳は、屏風を立体作品として、立てたときの効果を計算に入れて描いているのです。


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