市民美術大学 特別講座 
「美術界の話をしよう 2」公開ディスカッション

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市民美術大学 特別講座「美術界の話をしよう」
2018年6月16日
公開ディスカッション

秋元雄史(雄史(東京藝術大学大学美術館館長/練馬区立美術館館長)
伊東正伸(国際交流基金ジャポニスム事務局 部長/審議役)
水沢勉(神奈川県立近代美術館館長)
建畠晢(多摩美術大学学長/埼玉県立近代美術館館長)
中村信夫(現代美術センターCCA北九州 ディレクター)

中村信夫

今回のタイトルですが「美術界の話をしよう」です。美術、アートの話ではなく、美術「界」です。どういうものかというと、ギャラリーや美術館、教育機関、伊東さんのいる外務省の外郭団体である国際交流基金など、アートをとりまく環境、主に政治的、社会的環境ですね。今日来ていただいたのは、美術館の館長や美術大学の教授や学長を務めている方たちです。もちろん他にも、地方の団体やプライベートの美術館や団体、企業の文化部、コレクターなど、美術界には様々なプレーヤーがいます。

今日この4名の方と話し合うのは日本国内の美術界の話です。それでは世界はどうなっているのでしょうか。みなさんもご存じのように、近年はアート市場が活況を呈している、ということがよく言われます。これは主に日本というより、世界で起きている現象です。そして、その影響が美術界の様々なところに及んでいます。既存の美術館も、その現象により大きく運営体制が変わりました。変わらざるを得なかったとも言えます。欧米だけではなく、中東やアジア、ロシアの富裕層が、私財を投じて現代アートの美術館や団体をつくり、中国にいたっては何千というプライベートの美術館が国内に作られているといいます。でもこれは、アートの本質的なことを考えた末での現象ではないんですね。

今日は朝からずっと美術界についての話をみんなでしていました。どう話してもポジティブな話にならない、すべてがネガティブになってしまって。この2時間はなんとかポジティブな話をして、やっぱり美術界っていいところだなあ、という形で終わりたいなと思っています。

ここにいる4名を含め、日本で70〜80年代から現代アートの活動を行ってきました。80年代に美術館ブームが起き、どんどん開館され、今では400館近くあるそうです。美術館の動きが鈍くなってきた90年代頃から複合施設ができはじめた。そして指定管理者制度、NPO法人などができて、美術館が政府のお金だけじゃなくて民間のお金でやることでもっと活性化できるんじゃないかという動きがありました。自分はそれらは失敗しているんじゃないかなと思ってるんですが、きっとここにいるみなさんは、「いえ、まだ試行錯誤中です」とおっしゃるでしょう。そういう現状を踏まえて、お話をしていただきたいと思います。よろしくお願いします。

建畠晢

中国には及びませんが、過去30ー40年で日本の美術館の数は激増しました。美術界にはアートフェアや商業ギャラリーもあり、そういった経済の側面は非常に重要で、基盤になることは間違いないんですが、やはりみなさんが最初にアートに触れあう場所というのは、美術館だと思うんですね。その他でいうと、最近ではトリエンナーレ、ビエンナーレと称する国際展があり、九州はそんなに大きいものはありませんが、比較的近いところでは瀬戸内国際芸術祭がありますね。越後妻有トリエンナーレ、あいちトリエンナーレ、横浜トリエンナーレなどがあり、いくつか僕も芸術監督として参加したりしています。こうした国際展や美術館で作品に触れたり、美術の魅力に触れることが一般的だと思います。

私自身が美術界にかかわることになったのは、1977年に文化庁の国立国際美術館の準備室に入ってからです。それから40年以上美術館で勤めてきました。実は私は美術大学と美術館を行ったり来たりして、両方を見ています。美術大学については、ご家族が美大に行っているということでもなければ、あまり身近なものではないかもしれません。でも美術館はあくまでもみなさんに作品をお見せする施設ですから、直接関わってくることですよね。

私が美術館に勤め始めた1977年は、水沢さんがお勤めの神奈川県立近代美術館、東京国立近代美術館、ブリヂストン美術館、京都の国立近代美術館、兵庫県立近代美術館などいくつかはあったんですが、今と比べると極端に少ない数でした。77年に国立国際美術館準備室ができ、それを皮切りに80年代に激増していくんです。県立美術館、市立美術館、東京では区立美術館までつくられていきます。北九州にも市立美術館、福岡市立美術館もできましたよね。多くの方の近所に美術館があるような状況になり、非常に身近な施設になってきました。私たち5人ともそうだと思うのですが、美術館がほとんどない時に育ち、学芸員が何をする職業か知られていないような時代でした。高校のクラス会に行き、美術館で働いていると言うと、「それは実際何をやる仕事なの?」と聞かれたものです。

展覧会というのは必ず複数の作品がある。それをランダムに並べるわけにはいかないから、あるテーマを用意します。歴史的事実として存在しているテーマに合わせて紹介していく。これは非常に大事なんだけれども、それ以外にも学芸員が独創的に思いつくテーマ、悪く言えばでっち上げのような展覧会もある。そこに自分の新しい価値を提示しようとするんです。文脈だけが見えてしまって、作品の良さに触れることができなくなってしまうという問題もある。だからテーマってなかなか難しいんですけど、テーマのない展覧会はありませんから、そういう形で美術館はある文脈に合わせて作品を展示します。

でも学芸員の独り相撲みたいな感じで、どうも市民がほんとうに見たいもの、ご要望に応えられていない。だから美術館が孤立してしまって、ハイブロウな、高尚なことやってんじゃないかという批判もあります。私立の美術館を除いて多くの場合は税金で営まれているので、市民に還元するには、分かりやすいと同時に、学芸員の創造的な活躍を見せられる展覧会もつくらなくてはいけない。いずれにせよ市民からの支持を受けないとやっていけないんです、美術館というのは。

そういうわけで、なかなか一口に美術館といっても難しいものです。普及、広報などいろんな仕事がありますから。学芸員にとって企画を立てて展覧会をやるという仕事はごく一部であって、それに付随して普及教育、カタログの編集、広報など多岐にわたります。企画だけで展覧会をするわけじゃないから、コレクターとの交渉が必要で、どれだけ人脈を持っているかも要求される。日本の場合、幸か不幸か仕事が細分化されていないんです。海外の大きな美術館ですと、エディターはカタログをつくる担当、展示専門の担当、というふうに分かれている。キュレーターは展覧会の企画を立てることと作品を購入することだけに専心するものなんですが、日本ではあらゆる仕事をすべてこなさなくてはならないんです。でもそれでもいいのではないかと思っています。いろんなことができて、いろんなことに携われるから。すごく忙しいけれども、それはそれで僕は遣り甲斐のある仕事だと思っていました。これは裏側の話、表からは見えない話です。

70年代から80年代に次々にできた美術館はだいたいが近代美術館というタイプです。「近代美術館」と名前についているものが非常に多い。神奈川県立近代美術館、東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、つまり一つのスタンダードになったわけです。鎌倉の神奈川県立近代美術館はその雛形をつくったという意味で非常に重要なんですが、水沢さんにその話はお任せします。基本的にはホワイトキューブといって、真っ白な矩形の箱、余計な飾りのない非常にミニマルな展示室を持っています。これはいろいろな作品に対応できるので非常に重要です。

ところが最近話が変わってきています。今話題の、金沢21世紀美術館には「近代」という名前がついていません。「21世紀」が近代よりもっと新しいという意味かもしれませんが、とにかく近代はついてない。みなさんご存知の通り、金沢21世紀美術館は入場者数においては大成功を収めた美術館です。隣にあった富山県立近代美術館は、圧倒的に入場者数に差をつけられて、存在感も弱まってしまった。しかしつい最近、富山は旧館を壊して新館を建て、「富山県美術館」としてリニューアルオープンしました。リニューアルに伴って近代を抜かしたんです。そしてかなりの入場者数になっています。

老舗の兵庫県立近代美術館も、震災の後新館を建て「兵庫県立美術館」として、やはり近代を抜いた名前で再開しました。僕も関わっていますが、20年以上準備している「大阪市立近代美術館」も新しい名前を考えようということで、ネーミング委員会ができたんです。たぶん「近代」は外れるんじゃないかと見ています。滋賀県立近代美術館も、次のステップを準備中ですけれども、多分これも近代が外れる。「近代」の次のスタンダードが出てきたんだと思います。これは悪いことではないと思います。県立近代美術館がある一方で、別の性格を持った美術館も現れ、各地の美術館がそれぞれのスタンダードで活動する。新たなパターンはまだ試行中で、決まった方針はない。あるいは、一つのパターンができるのではなく、それぞれが個性的な活動をする時代になるんじゃないかな、とも思います。

僕がいた国立国際美術館ですが、まったくワケの分からない名前なんです。国立現代美術館という仮称から、僕が準備室に入った頃突然ネーミング委員会が開かれて、河北倫明(かわきたみちあき)さんが、「現代というのはまだ定まっていない。海のものとも山のものともつかないことに、国家権力が介在するのはよくない。ちゃんと評価が定まってからでなくてはならない。万博の精神を受けて、“国立国際美術館”にしなさい」とおっしゃって、そのまま決まったんです。

当時は現代美術館のほうがいいのにと抵抗感がありましたが、今思うと悪くない館名ではないでしょうか。意味が分からないでしょう? 国立国際美術館て。だからなんでもできるんですよ。縛りがないから、自分たちのやりたいことができる。基本的には国立美術館の兼ね合いの中で、現代美術を中心にやりなさいという約束事はあり、もとの精神は生きてるんですけど、ゴッホ展やってもいいし、古い美術を新しい切り口でやってもいい。非常にフリーハンドを得たので、自由にいろんなことができましたし、僕も一時期館長をしていて感じましたが、学芸員のユニークさが際立つ美術館でした。スタンダードがないゆえに、フレキシブルな美術館。すべてそれでは困るけれども、そういう美術館があってもいいと思います。


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